伝統を絶やさず、新たな火を灯す
福岡県みやま市にある筒井時正玩具花火製造所は、90年ほど前から子ども用の花火、いわゆる玩具花火を製造している会社。初代の筒井時正さんはネズミ花火の考案者として知られます。今は日本に3社しか残っていない国産の線香花火メーカーのひとつとして、古くからの知恵や技を守ることはもちろん、新たなオリジナル花火の卸やワークショップ、情報発信などの活動を通じて、日本全国、さらには世界に向けて国産花火の魅力を伝えています。
昭和初期から続く製造所に転機が訪れたのは1999年。みやま市にほど近い福岡県八女市にある国内唯一の線香花火の製造所が廃業を迎えました。そのとき3代目・良太さんが、線香花火の製造技術を継承するためにその製造所で修行し、廃業と同時に道具も、職人も、すべてを引き継ぎました。
そこから国産の高品質な線香花火を作るため、改めて火薬などの配合からすべてを見直し、ブランディングの戦略、デザインも一新。伝統の製造技術を大切に守りながら、新たな形で次世代へ繋いでいこうと情熱を注いでいます。
線香花火のはじまり
日本の夏の風物詩といえば花火。中でも線香花火は、日本人なら誰もが知っている花火です。
その始まりは江戸時代。先に流通していたのは男性だけの遊びとされていた手持ちの吹き出し花火で、それを女性や子どもも楽しめるようにと作られたのが線香花火でした。現在のように手で持つのではなく、香炉や火鉢に立てて遊ぶ姿が線香に似ていることから、「線香花火」という名前がついたと言われています。
西と東の線香花火
そんな線香花火、関東と関西で形が違うのをご存じでしたか?関西の線香花火は300年変わらない花火の原型「スボ手」が主流。竹ひごや藁(ワラスボ)の先端に火薬が塗られた花火です。一方関東は、江戸でスボ手の材料となる藁が手に入りにくかったため、代わりに「長手」と言われる和紙に火薬が包まれた線香花火が登場し、新しもの好きの江戸の人たちの間で大流行。日本各地に広まっていきました。スボ手と長手、どちらも作っている製造所は、今では筒井時正玩具花火製造所だけとなっています。
安定した線香花火を作りたい
線香花火はとても繊細で、職人の縒り方、火薬の量、気象条件によって違う表情を見せます。しかしながら、筒井時正玩具花火製造所が引き継いだ当時の線香花火は、中国産に対抗するためにできるだけコストを切り詰め、大量生産していたため、国産とは言いつつも品質は安定していなかったそうです。
そこで、3代目・良太さんは安定した品質の線香花火を作るため、火薬などの配合を一からすべて研究し直しました。良太さんが試行錯誤を繰り返し、頭を悩ませながら作っていた線香花火を見た妻・今日子さんは、これまでの線香花火とは全く異なる光に感動。これは中国産と並べて安く売るのではなく、国産のよいものとして売り方を変えた方がよいのではと考えたそうです。