自社生産にこだわる窯元
三重県三重郡菰野町に窯を構える、有限会社泰成窯の自社ブランド「たいせい窯」は、「家族の風景をつないでゆく器」をブランドコンセプトに、末永く愛される素敵なアイテムを展開。
平成元年から、萬古焼製造という伝統産業に携わっている有限会社泰成窯は、自社生産にこだわっています。一時期、萬古焼の里として知られる地域では、他社ブランドから受注した製品の製造や下請け作業に携わる窯元が多かったといいます。そんな中、有限会社泰成窯の創業者である伊藤弥彦さんは、異業界から萬古焼の世界に飛び込みました。
もともとは、萬古焼を販売する立場にあった伊藤さんでしたが、作る側に魅力を感じ、有限会社泰成窯を立ち上げます。勉強に勉強を重ね、試行錯誤と工夫を繰り返した結果、納得のいく製品作りを行えるように。このように、自分たちで「ものづくり」ができる体制を整えたことにより、製品を使う人々の声を反映した萬古焼が完成しました。
萬古焼のはじまり
窯元がある菰野町、そして四日市市を中心に生産されている萬古焼(ばんこやき)は300年以上の歴史がある焼き物で、江戸時代中期に廻船問屋を営んでいた沼波弄山(ぬなみろうざん)によって生み出されました。
豪商であり茶人でもあった弄山は、趣味が高じて自ら作陶するようになります。京焼に倣いつつも、異国趣味を加えた萬古焼はやがて江戸でも評判となり、江戸で開窯するまでに。その後、後継者がおらずいったんは途絶えてしまった萬古焼でしたが、森有節・千秋兄弟によって再興。四日市末永村の村役・山中忠左衛門がその再興された萬古焼の人気に着目し、村で陶工を育成して、四日市の地場産業としての礎を築き上げました。こうして「四日市萬古焼」が誕生し、萬古焼作りは三重県北部地域に波及していきます。
四日市市に隣接する菰野町では、土井吉造が萬古焼を再興した森有節に師事して陶法を学び、1852年から菰山焼(こざんやき)作りを始めます。ところが、吉造が亡くなると菰山焼は衰退。それから約半世紀後、菰野町で次々と製陶所が開かれることとなり、萬古焼が生産されるようになりました。現在では、菰野町で作られる萬古焼のことを「菰野ばんこ」と呼び、「たいせい窯」のような、新しいデザインの萬古焼が世に送り出されています。
食卓を笑顔にする土鍋
「たいせい窯」には、「ごはん鍋」や「ばんこの土鍋」などがあります。そもそも萬古焼は、耐熱性が高いのがなによりの特徴。萬古土鍋は土鍋の全国シェア80%以上をも占めるほど人気で、耐久性が高く、割れにくい土鍋だと評判です。
土鍋といえば鍋料理ですが、お米を炊くのにも大変便利で、じつは炊飯器よりも早くご飯が炊ける優れもの。ゆっくりと熱が伝わる土鍋で炊いたご飯は、お米の甘みや旨みが引き出されるほか、保温性が高いのでお米の芯までしっかり熱を通し、ふっくらおいしいご飯になります。
近年ではガスだけでなく、電子レンジやIH対応の土鍋が製造されるなど、調理法の変化に伴ったアイテム作りが行われ、時代のニーズに応えた製品が誕生しています。土を練って焼成し、最初から最後まで自分たちで作り上げた器が食卓を彩り、各家庭に団らんをもたらすことに幸せを見出している窯元。そんな窯元が作る、萬古焼の特性を活かした「たいせい窯」の土鍋は、丸みを帯びた可愛らしいフォルムで、食卓を笑顔にしてくれるでしょう。